Story1『1%の欲情…』

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99パーセント会うことはないと思っていた。

一瞬、心の隙を突いた1パーセントの欲情――。

待ち合わせ場所は、駅構内の小さなカフェ。約束した時間の40分も前に着いてしまった。

緊張して家を早くに出過ぎたんだ…。

とりあえず中に入り席を探す。

店内には人々が煩雑に行き交う構内が見える大きな窓が設えてあり、その窓に向かってカウンター席が8席ほどあった。

その光を避けるように、私は店の奥の二人がけの席に座った。

「待ち合わせですか?」

遅れてやってきたウェイターが、水の入ったグラスをトンとテーブルに置く。

「ええ、まぁ」

曖昧に目を伏せたまま、私はアイスティを注文した。

カルガモさんには、約束の時間の10分前になってからメールしよう。『もう着いてます』って…。

だって、こんなに早くから張り切って待ち受けていると思われるのは恥ずかしいから。

カルガモさんというのは、今日の待ち合わせ相手のハンドルネーム。

本名は知らない。

本名どころか顔も知らない。年齢だって私より2つ上の32歳となっているけど、本当のところはわからないんだ。

カルガモさんと私は、もう半年来のメール友達。出会い系サイトで知り合い、メールだけを交わす仲だ。

サイトに登録したのは、違う自分になりたかったから。

○○さんの奥さんでも、○○ちゃんのママでもない自分…。

いや、それは後づけの理由かな…? 

近所のママ友が教えてくれたんだ。『出会い系って登録するだけでも面白いわよ』ってね。

それでみんなでノリで登録してから驚いた。まさかこんなにたくさんのメールが押し寄せて来るなんて…。

真剣な交際相手を探している人も、セフレ募集中の人も、遊び仲間や飲み友達を作りたい人も、みんなが私に興味を持ってアピールしてくれている。

そういう感覚って、もう何年振りだったかな? 若さだけが取り柄だったあの頃に戻れたみたいで新鮮だった。

人妻なんだし、もう恋愛はNGだけど、こんなところで男の人とメールを交わして、疑似恋愛を楽しむのも悪くないな、なんて思ってしまった。

そうして私は取り急ぎ、自分が既婚者だってこと、H目的ではないってことを、サイトのマイプロフィールに書き込んだんだ。《 心からのメル友が欲しいよぉ!》な~んて言葉を添えて…。

激減すると思われたメールは案外途絶えもせずに、たくさんのメールの中から感じのいい人を選ぶことができた。今も数人の男性と楽しいメル友関係が続いている。

みんな既婚者で今の生活を壊す気はないけれど、異性の友だちとメールすることでちょっぴりときめいたり癒されたりしたい派で…。そこが私との共通項だった。

と言っても、中には段々『会おう、会おう』としつこくなってきて、結局お断りリストに入れてサヨナラしちゃった相手も何人かいたけれども…。

そうして残った数人のうちの1人がカルガモさんだった。

一番頻繁にメールを交わしているお相手。

何だかね、お互いにリアルな繋がりがない分気が楽で、カルガモさんとは日々あった些細なことから深刻な悩みごとまで、何でもかんでも話せちゃうんだ。

きっと毎晩帰宅の遅い夫よりも、私の心の中を知っている人…。

そのカルガモさんと会うことになるなんて思ってもみなかった。

《 実物を見たら、きっとがっかりするもん 》

《 それはこっち。会わぬが花か。笑 》

なんてやり取りもしていたし、メールだけで十分楽しかったから。

それが先週、カルガモさんからこんなメールが届いたんだ。

《 パスタの美味しい隠れ家を発見! 自然公園の森に面していて、おとぎ話に出てくるお家のようなカフェレストラン。なぜか金魚さんと行きたいなって思った 》

ちなみに『金魚』が私のハンドルネーム。

《 わ、行きたい! 》

思わず即答してしまって、それからトントンと話が進み、今日初めてここでこうして待ち合わせている。

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平日の木曜日。ランチを一緒にって約束だから待ち合わせは11時半。

専業主婦の私のタイムリミットは午後4時で、一人娘の幼稚園の送迎バスが帰ってくるまでだった。

夫は会社。たぶん今夜も残業…。

カルガモさんは仕事を抜けて来てくれるのかな? いつも外回りの営業の空き時間にメールをくれるから。

どんな人なんだろう、カルガモさん。メールの文面はいつも優しくて面白くて、決して嫌なことなど言わない人だけど…。

不思議と夫への罪悪感はなかった。

こんな服装で大丈夫かな?とか、実物を見て幻滅されないかな?とか、そんなことばかり考えていた。

大袈裟だなぁ。ネットで知り合った友達とランチするだけなのに。

「金魚さん?」

そのとき不意に声をかけられた。ちょっとトーンを落とした柔らかな声。

「あ」

ポカンと見あげると、スーツを着た男性が少し硬い表情で立っている。

「あ、はい…っ」

ガタンと立ちあがると、男の人はホッとしたように、わ、笑った…! なんか、普通に素敵なんだけど…。

想像上のカルガモさんは、もしかしてポッチャリさんかもと思っていたくらい、平和な感じの人だったのに。

それがいきなりこんなスマートなビジネスマンが現れたんだから焦った。

スーツ姿がバリッと決まっていて、仕事ができそうな大人男子だ。

「時間がないから、行きましょう」

男性は席には着かずにテーブルの上の伝票を取ると、もうレジで精算している。

「あ、あの、払います」

店を出ようとする彼に追いつきながら、バッグから財布を取り出した。

「いーから。今日はそれ、しまっといてください。こっちが誘ったんだし」

わたしの顔は直視しないで、男性は手慣れた手つきで背広の内ポケットに長財布を収める。

「ホントに、カルガモさん…?」

下から覗き込むように見上げると、長身の彼はピタッと足を止めた。

「あ、やっぱ、ガッカリしました…?」

と恥ずかしそうに訊いてくる。

「えっ、全然。素敵な方だからビックリしちゃいました」

本心でそう言ったら、彼は綺麗な目を真ん丸くした。

「それはこっち!」

「ま、まさか、まさか」

赤面してしまい恥ずかしい。そんな私にカルガモさんは優しく笑った。

「本当だから…」

と、とりあえず、神対応に感謝しつつ並んで歩き出す。

何でも目的のお店は電車では行きづらい場所だそうで、カルガモさんは車で来てくれたらしいんだ。

パーキングへの道を歩きながら、私たちはぎこちない会話を続けた。

「あ、あの、どうして私だってわかったんですか?」

あの店に女性の一人客は、他にも何人かいたはずなのに。

「ああ、ひとりだけ……すごく不安そうな顔をしていました」

カルガモさんは私を見て、ちょっと困ったように笑った。

車に乗り込むと、車内はやけにスッキリしている。

「社用車ですか? お仕事大丈夫なんでしょうか?」

気になっていたことを訊くと、カルガモさんは気まずそうに鼻の頭を掻いた。

「いや、実は今日、有休をとったんです。で、これはレンタカー」

「えーっ、よかったんですか? あ、でもスーツなのに?」

「ああ…。家には、会社休むこと言ってないから…」

もっと気まずそうにカルガモさんは言った。

そ、そっか…。カルガモさんには奥さんと小さな男の子が二人いる。朝、会社に行くような顔をして家を出てきてくれたんだ…。

なんか悪いことしちゃった…な。

「オレ、初めてなんです。こんなふうに妻以外の女性を誘うのって。だから舞い上がっちゃって…。何だか大袈裟ですみません。休みまでとって車で来たら、金魚さんに怖がられちゃうかとは思ったんだけど…」

やっぱり困ったようにカルガモさんは言った。

「でも絶対車のほうがいいと思ったんだ。ゆっくり話もできるし」

それでも若い男の子みたいにそう言うカルガモさんが、いつもの仲良しのカルガモさんらしくて嬉しくなる。

「あの、ありがとう。嬉しいです。怖くないです」

「ホントに?」

「うん!」

ホッとしたようにほどけた彼の笑顔に、なんだか少しドキンとした。

そうして私たちは素敵なレストランで美味しいパスタを食べて、それからたくさん喋った。

メールでは《 僕 》って言うのに、実物のカルガモさんは自分のことを『オレ』って言った。

メールでは《 笑 》の一文字だけなのに、私たちはいっぱいいっぱい笑い合った。

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ランチの帰り――

待ち合わせた駅まで車で送ってもらうことになる。

「金魚さん、4時のお迎えバスまでに帰れたらいいんですよね?」

「ええ」

今はまだ1時過ぎ。時間はたっぷりあるんだけど…。

車内は妙に静かで、さっきまであんなに盛り上がっていたのに、急に会話が途切れがちになった。話を向けても、カルガモさんは何だか生返事で…。

車が駅の近くに差し掛かったとき、彼はやっと重い口を開いた。

「金魚さん、オレとホテルへ行きませんか?」

え?

「NOなら聞かなかったことにして、気にせず車を降りてください。オレも二度とこんなことは言わないから…。でももしYESなら、このまま車を降りないで…」

カルガモさんはこっちを見ずに、前を向いたまま運転している。

ドッドッドッドッ。

し、心臓が飛び出しそう。

想定していなかったわけではない。だって二人とも大人なんだから…。

そういう選択肢に気づかないふりをして会いに来て、気づかないふりをして帰っていく。そのつもりだったのに…。

自動車が駅前のロータリーに滑るように止まった。

ドッドッドッドッ。

心臓の音を聴きながら、私はじっと動けなかった。

ううん。動かなかったんだ…。

車がまた滑り出し、そのままラブホテルへと直行した。

部屋に入るとカルガモさんはスーツを脱ぎ、バサバサと椅子に掛けていく。

私はその様子をぼんやり眺めながら、ベッドの脇に佇んでいた。

ワイシャツのボタンを外しながら、彼がこっちに歩いてくる。

現実が現実じゃないみたいなのに、心臓だけがドクンドクンと鈍い音を響かせていた。

期待しているの? それとも怖い?

怖いのはカルガモさんではなくて、こんなところにまで来てしまった自分自身だ。

「バッグ…」

カルガモさんはそう呟くと、ガチガチに握ったままだったバッグの取っ手を、わたしの手から外して床に置く。

「好きになってゴメン…」

そう囁きながら、彼は私をそっとベッドに押し倒した。

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